日芸公開講座:日本製アニメに向けられた海外の目の変化

日芸で練馬区の区民向けに公開講座が行われています。今回は、アニメーションの現場に参加されている方で、実際にアメリカとの日米合作「リトル・ニモ」の現場にいた片淵さんと言う方がスピーカーでした。

こちらの方、アリーテ姫[G]BLACK LAGOON[G]と言う作品で監督をされていたと聞いたのですが、私が不勉強で両作品とも知りません。あらかじめ知っておいてから参加すべきだったでしょうかねえ。

さて、今回の講座では、最近行ってきたシカゴの「アニメ・セントラル」というイベントではたくさんの人が参加してアニメを見たり、コスプレをしたりと盛り上がったようです。しかし、実際にアニメ製作をしていた人からすれば、「ここまでアメリカに浸透したんだ」と感慨深い様子とも言えたようです。

と言うのは、最初にアメリカにアニメを売ろうとしていたが、ちっとも売れなかった。
最初にアメリカに持ち込んだのは宮崎駿版、「名探偵シャーロックホームズ」。
あの、犬のホームズです。個人的には大好きな作品でした。
劇場版 名探偵ホームズ1 「青い紅玉」「海底の財宝」
コナン・ドイル 宮崎 駿
4198618437

しかし、この当時にはアメリカにアニメを売ると言うシステムが全くなく、つくったもののABCやCBSなどアメリカのテレビ局のどこにも相手にされないと言った状況でした。
結局、作品としては評価は高くても、アメリカに売ると言う目的は果たせませんでした。

そこで、アメリカに売るためにつくられたのが、ウインザー・マッケイ原作の「リトルニモ」です。
リトル・ニモ
合野琢真 大塚周夫 北村弘一
B000BN9AIY

この作品は、最初のスタッフが、宮崎駿、高畑勲だったそうです。どこかで見た方々ですね。
今回の講座で話をしていたのですが、なんと、あのジブリ、持っていたアイデアが、「ニモ」では実を結ばないので、それではしかたがないと、独立して作品を作ったのが、ジブリ結成の元だったそうです。そう言う意味では、「ニモ」がなければ、ナウシカやラピュタはなかったと言えるでしょうね。また、実際に最初に宮崎さんが作った没のニモのシナリオは、その後、かなりラピュタに影響を与えたと言う話をしていました。

とは言え宮崎さんと言った人たちは、アメリカとの合作ということで、去る事になってしまいました。最終的には7代目の監督により完成したとの事。使った費用が28億(!)とは、罪作りな作品とも言えるでしょうね。

この当時は日本でもかなりノウハウが貯まってきたが、アメリカの作り方に従おうとした事が、全ての問題の素であったと言う事もあったようですね。90年代の作業なのに40年代のディズニーのやり方がまかり通っていた。そう言う意味では最近のアメリカアニメの没落も理解出来るところもありますが…。

このいたい目を見た事で、アメリカに作品を売ることもできました。そこから少しづつ販路を広げて日本のアニメもだいぶ評価が変わってきたようです。今では普通にドラゴンボールのTシャツをきている子どもがアメリカで見られるくらいですからねえ。

しかし、今回のセミナーでまさかウインザー・マッケイの話が出るとは思いませんでしたね。わたしも「リトル・ニモ」は大好きです。
映画はあるらしいと言うのは聞いていたのですが、こんな罪作りな作品だとは…。一度ぜひ、この映画版を見てみようと思います
ちなみに、実際に新聞についていた原作ですが、日本語版もあっが廃刊。英語版でも、1910年頃の古い本なのでなかなか合本がでても、すぐ廃刊になって、なかなか手に入れる事ができません。

現在でも手に入る作品を紹介だけはしておきます。個人的にも買い足しておきたいので。
Little Nemo in Slumberland 1
Winsor McCay
1933160217
Little Nemo in Slumberland 2
Winsor McCay
1933160225
Little Nemo in the Palace of Ice, and Further Adventures
Winsor McCay
0486232344

リトル・ニモが日本語版で8Pだけ載っていました。どうしても日本語でよみたい場合に。
飛ぶ教室 8(2007冬)?児童文学の冒険 (8)
4895284077


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